オレンジエジンバラ 〜2〜

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    前回からの続き〜

    空港から市街へはエアリンクというバスで向かった。
    いかにも「イギリスといえば」な感じの二階建てバスであり、見晴らしが良さそうなその二階座席に座ればさぞかし旅気分も盛り上がるのだろうとは思うのだが、到着早々色々面倒くさい気持ちになっていた俺は一階の一番後ろの座席に座ったので眺めに関しては至って普通。気分もフラット。
    車窓からはスコットランドの歴史の重みを感じさせるような古めかしい街並が見える。
    見えるのだが、スコットランドの歴史にも中世の面影を残す素晴らしい建築にもこれっぽっちも興味が無い俺にとっては豚に真珠である。
    瞬く間に豚は居眠りしてしまった。

    17_01.jpg

    三十分ほど心地よく揺られて目覚めると、丁度バスが街の中心部であるウェイバリー駅に到着したところだった。
    バスを降りて往来に立ち、ンアーと伸びをひとつ。
    あらためて、今自分は到着したばかりの異国の街のまっただ中に一人ポツンと佇んでいるんだなあと思ったら急にゾクゾクとした嬉しさがこみ上げて来た。
    スーツケースをゴロゴロと引きながら歩き出すと、石畳の路面にキャスターが度々引っ掛かりゴツンゴツンと音を立てながら軽くバウンドする。ああ、ついにエジンバラに来たのかとしみじみ思う。
    ひとまずは地図を見ながら宿に向かう事にした。街の中心から歩いて20分ほど。静かな通りの先に今回の宿はある。
    向かう途中にスーパーマーケットがあったので、そこで食料を買い込んで行く事にした。

    イギリスは物価が高く、ちょっとした店で軽い食事でもしよう物なら軽く千円以上が飛んでしまう。
    なおかつ食い物は総じて「マズイ」との世間の評価。道端の屋台で美味いぶっかけメシ食って一食数十円のアジアとは訳が違う。
    不味いメシに積極的にかけるような金は無いので、滞在中の基本的な食事は不本意ながらサンドウィッチを作って食べる事にした。
    スーツケースを引きながらスーパーに入り、まずはパン売り場へ。俺にはパンの種類も良し悪しも何も分からないので、とりあえず棚にある中でいちばん嵩がありそうな、でかい全粒粉の食パンを1斤。
    冷蔵ケースの中からローストチキンとローストターキー、スライスチーズ2種類をそれぞれ景気良く大パックで。更に大瓶のマヨネーズ、ピクルスも。
    ビール売り場で英国産ぽい缶ビールを物色する。見た事のない缶が沢山並んでいるので眺めているだけでも楽しいのだが、背中にはリュックサック、手にはスーツケースと買い物カゴという状態だったので、適当に目についたローカルな黒ビールらしき500mlロング缶六本パックをカゴに放り込み、レジに向かった。
    まるでホームパーティでも開くかのような大量の食料品だ。しかしこれだけあればまあ3日分の食事にはなるだろう。

    両手に大荷物を持ったままスーパーを出て交差点を渡り、少し歩くと宿に着いた。
    入口のガラス扉の向こうにフロントカウンターがあり、パソコンに向かって眼鏡の白人女性がなにやら事務作業をしているのが見える。
    軽く深呼吸し、扉を開けたら言うべき、ガイドブックの「ホテルのチェックイン」のページに書いてあった例文をモゴモゴと思い出し復習する。
    さわやかな笑顔を作り、元気一杯にドアを開けようとしたのだがドアにはロックが掛かっており、ガチャンガチャンと振動するばかりで中には入れない。
    この入口はセキュリティの為に内側からしか開かない仕様になっており、外から帰って来た宿泊者はカードキーを使ってロックを解錠するのだという事を後に知ったのだが、この時は知る由もなかった俺である。狼狽のあまりガチャンガチャンガチャンガチャンと馬鹿の様にノブの押し引きを激しく何度も繰り返してしまった。

    フロントカウンターの女性が異音に気づいて顔を上げ、明らかに怪訝な表情を浮かべた。ドアの向こうで、両手にスーパーの袋を山程ぶら下げた知らないアジア人が、必死にドアをこじ開けようとしているのだ。
    「ウェイト、ウェイト!」身振りで示しながら女性はドアに近づいて来た。内側のボタンでロックを解き、ドアを開けてくれた。
    こんな時、英国流のウィットに富んだ気の利いた一言で返すのがスマートな大人の男なのだろうが、
    扉が開いた瞬間に「アイハヴァリザヴェイション!アイハヴァリザヴェイション!」脂汗を流しながら連呼する俺を、受付の女性は「参ったなあ」というなんとも言えない味わいのある表情で見つめていた。

    「わかったから、とりあえず落ち着いてこっちに来なさい」
    促されてカウンターに案内され、チェックインの手続きをしてもらう。
    相手が何を喋っているのかは8割方理解出来ないのだが、とりあえず言われた事には笑顔でウンウンと頷きつつ、何か聞かれたらとりあえずガイドブックのうろ覚えの例文でやりすごしたのだが、

    お姉さん:「お支払いは現金ですか?クレジットカードですか?」
    俺:「予約済みのチェックアウト、Wi-Fiで既に3時間」
    お姉さん:「は?」
    俺:「私の荷物はレストランで梱包されています」
    お姉さん:「ちょっと何言ってるかわかんないです」

    恐らくこんな感じで殆ど会話になっていなかったんじゃないかと思う。

    しかしどうにかこうにか諸々乗り越えてキーを受け取る事には成功し、エレベーターで部屋へ。
    ドアを開けると、そこは小さなベッドとデスクがあるだけの極めてシンプルな部屋だった。
    ここは普段は大学の学生寮として使われていて、学生が居なくなる夏休みの期間だけホテルとして貸し出しているという施設らしい。
    床に荷物を投げ出して、到着の安堵感から思わずベッドに倒れ込み、ウトウトと眠りに落ちそうになった瞬間いかんいかんと身体を起こした。
    スーパーで買って来た大量の食材を冷蔵庫にしまわなければ。
    と、部屋を見回してみてふと気づいた。

    冷蔵庫など、どこにも無いのである。

    しまった。「ホテルの部屋には冷蔵庫がある」という自分の勝手な思い込みだった。
    「チェックイン後に買い物に出るのが面倒だから」という物臭な理由だけで、部屋の中を確認する前に大量の食材を買い込んでしまった自分の凡ミスだ。
    室温は何度だかわからないが、寒くも無く暑くも無い、強いて言うなら「ぬるい」といった温度。細菌どもが繁殖するには程よい湯加減なのではなかろうか。
    肉類をこの状態で放置すれば明日の朝には間違い無く腐ってしまっているだろう。

    17_02.jpg

    俺は比較的頑丈な胃腸を持っているので少々腐った程度の物を食った所で概ね大丈夫だとは思うのだが、何しろ今回は人知れずこっそりと来ている上に滞在期間は6日と短い。万が一、食あたりでも起こしてしまうと、
    「人知れずイギリスにやって来て、人知れず腹を壊し、人知れず数日寝込み、人知れず治ったので、人知れず帰国」という、人知れづくしの無意味な滞在になってしまう恐れがあるので危険は冒せない。

    とは言え、3日分はあるこの食材をどうした物か。このぬるい常温で保存するとなれば、少なくとも肉とチーズは今日の夜までに消費しなければ間違い無くアウトだろう。
    こうなったらとるべき方法は一つだけ。「今日中に食ってしまえ作戦」だ。

    早速、食パンの包装をバリバリと破ってスライスされたパンを4枚ほど取り出し、皿など無いのでテーブルの上に直に並べる。
    続いてチキン、ターキーの包装もそれぞれ破り、肉を手で鷲掴みにしてパンの上にドチャリと乗せた。スライスチーズも大盤振る舞いだ。
    ピクルスの瓶を開け、酢漬けキュウリを3本ばかりつまみあげてゴロンと肉の上に転がした。
    味付けはマヨネーズのみ。フォークもスプーンも無いので瓶に人差し指と中指をズブリと突っ込んで掬い上げ、ベチョリと直接塗り付ける。ベットベトの指はパンで拭いた。雑な事極まりない。
    具をパンでギュウギュウと挟み押し付けて、俺特製「肉&チーズ山盛りサンドウィッチ」が出来上がったので、早速ガブリと食らいついた。

    「美味くも無ければ不味くも無い、丁度真ん中のフラットなライン」という物があるとすると、丁度そのライン上ピッタリのところから気持ち「不味い寄り」に振れたような、そんな中途半端な、心底つまらない味だった。

    「くそつまらん食事だなこりゃ」

    自分で作ったくせにブーブーと文句を口に出しながら、つまらない食い物をとりあえず腹に詰め込んだ。
    ちょっとどうかと思う量を買ってしまった肉もチーズもまだ3分の2ほどの量が残っているが、これは夜の間に食べればまあなんとかなるだろう。
    それよりも先ずは、今頃この街のどこかの路上でフライヤーを配っているであろうコメディアンを探し出さねばならない。
    「この街の、どこか」
    到着したばかりの異国の街で、こんなざっくりとした手がかりしかないのだ。
    しかし陽は既に沈みかけている。時間はあまり無い。

    ひとまずの腹ごしらえも出来たので、さしたる手がかりも無いままに俺は街の中心部へと向かう事にした。

    17_03.jpg

    〜次回に続く〜


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    Dennis Ivanov

    (デニス・イワノフ)

    日本人。
    グラヒックデジャイナー。
    twitter:Dennis Ivanov

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