オレンジエジンバラ 〜4〜

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    エジンバラに来てから数日すぎた。

    住めば都とまでは言いたかないが、
    冷蔵庫もテレビも無い、普段は学生寮として使われている狭くて簡素な宿での生活にもすっかり慣れた。

    「長袖Tシャツ一枚で軽く汗ばむ感じ」という、食料を腐らせるのには最適な気温下で放置しつつも「一日数回に分けて丁度食べきる事の出来る量の肉類」をスーパーマーケットで買う匙加減も身につけた。
    ぬるいビールはわずかに開けた窓辺に缶を並べて置いておけば、深夜頃には「冷えてるとは言えないが、そんなにぬるくもない」といった温度になり、「良く冷えたビール」だと思い込んで飲む事により、それなりの幸福感で一日の最後を締める事も出来るようになった。
    生活の知恵である。

    そんなこんなで今日も今日とて、パンにぬるい肉を乗せ、ほんのり汗をかいたぬるいスライスチーズを乗せ、瓶から直接指で掬ったマヨネーズをなすりつけ、ぬるすぎてすっかりシャキシャキ感が無くなったピクルスと共に挟んだ「俺特製サンドウィッチ」をギュウギュウと口に押し込むという雑な食事で腹を満たした後にエジンバラの街へと出かけて行くのである。

    19_01.jpg

    俺は宿を出て、中心街とは反対の方向に歩き始めた。
    地図を見ていたらエジンバラの中心街から数キロ北上すると海があるという事に気づいたので、ここらでひとつ、スコンと抜ける様な異国の海と空を眺めて気分をスッキリさせてやろうという魂胆だ。
    薄曇りの多いスコットランドだが、今日はそれなりに良い天気。広々とした海を眺めながら潮風を浴びて波の音やカモメの声を聞けばさぞかし気分もスカっとするだろう。

    北へ向けて、大通りをひたすら歩いて30分ほど経った頃だろうか。
    突然、空が真っ黒な雲で覆われて、またたくまに大粒の雨が叩き付ける様に降って来た。
    俺は道端の商店の軒下に避難し、突っ立って雨が上がるのを待った。
    「来るんじゃなかった」
    後悔が頭を駆け巡ったがもう遅い。
    そのまま20分ほど何もせぬまま時間が過ぎ、雨はやや小降りになった。ここまで来たら戻る訳にも行くまい。俺はまた、北に向けて歩き始めた。
    全身が雨に濡れ、ズボンとTシャツは水を吸って重たくなり、水の入ったスニーカーがブキャブキャとみっともない音を出し始めた頃、突然視界が開けて港に到着した。

    どんよりと曇った空の下、広がっているのはどす黒い海。遠くには工事現場のクレーンや、スクラップになった鉄屑の山。見渡す限り、人間の姿は全くない。
    「殺風景」というタイトルの写真素材集があるとしたらきっとこんな風景が収録されているのだろうなと思った。

    しばらく小降りになっていた雨が、また強くなって来た。
    雨に打たれながら2分ほど殺風景を堪能した後、俺はブキャブキャと間抜けな音を誰もいない港に響かせながら来た道を引き返した。

    19_02.jpg

    その夜も、ショーは異様な熱気の中で幕を開けた。
    オレンジジャージ姿のコメディアンは今宵も汗だくで、開始早々全身から得体の知れないエネルギーを発しながら客を煽る。
    「俺をもっともっと歓迎しろ!」
    大きな声で声援を送る観客。
    「俺をニックネームで呼べ!俺のニックネームは"ジャップ"だ!」
    観客は声を一つにして叫ぶ「ジャップ!ジャップ!」
    「黙れ!レイシストどもめ!」
    大笑いの観客。

    19_04.jpg

    終演後、撮影機材を片付けて会場を出て、石畳の坂道を下って宿への道を歩く。
    時刻は午前0時を回って、早いもので日付けで言えばいよいよ明日には帰国の途につく。
    毎日歩いた石畳の坂道。
    ようやく少しだけ「日常」になり始めたばかりの街並を観ながら、少しだけ「寂しいな」という気持ちが心の奥底で顔を見せた事に自分でも少し驚いた。

    宿に戻り、常温で保存しておいた昼間の残りの肉とチーズをパンで挟み、慣れた手つきで直接指を瓶に突っ込んでマヨネーズを掬い擦り付ける。ぬるくて歯ごたえの無いピクルスと一緒に口に押し込む。
    少し開けた窓辺で冷やしておいた缶をプシュッと開けて、微妙な温度のビールを胃袋に流し込む。
    ゴクゴクゴクッと缶の半分程まで一気に飲み進み、ブハーと一息つく。

    冷蔵庫が無い生活はとても不便ではあったが、
    慣れればぬるい肉もぬるいビールも、一日の終わりを締めくくるには悪く無い味に思えて来た。
    日本に帰ってやがてエジンバラで過ごしたこの数日間を思い返すとき、こんな事もまた懐かしく思い出すのだろう。
    別れが近い事も手伝って、初日にはあんなに忌々しく思っていた美味さも楽しさもない食事の事すら、少し愛おしく思えて来てしまい、しみじみとした気持ちでもう一本、ぬるいビールのプルタブを開けた。
    9月になりエジンバラの観光シーズンが終われば、この部屋の本来の主である学生が帰って来てまた何事もなかったかのように日常が続いて行くのだろう。

    この宿の各部屋のドアには、部屋番号ではなく順番に割り振られたアルファベットが書かれている。俺の部屋のドアももちろんそうだったのだが、隣の部屋のドアにだけは唯一何も書かれていなかった。
    鍵もついていなかったので恐らくは倉庫か非常口なのだろうと思っていたのだが、ふとその事を思い出したら途端にその隣室のドアの先が気になって来てしまった。

    ビールの酔いも手伝って、深夜1時を過ぎた頃、俺は部屋を出て隣のドアの前に立っていた。
    隣室のドアにはやはり何の部屋番号も書かれておらず、そして鍵もついていなかった。
    少し緊張してドアノブを握った俺は、一度だけ深呼吸をしてからノブを回し、ゆっくりとドアを開けた。

    ドアの先にあったもの。

    そこは広々とした共用キッチンスペースだった。

    流しの横には電気式のコンロ、調理台には電子レンジと自由に使って良い沢山の皿とナイフ、フォーク、スプーン。
    部屋の奥にはゆったりとしたソファーと大型テレビがあるくつろぎスペース。
    そして壁際で一際目を引くのは、大きくて立派な冷蔵庫。

    俺は思わず、膝からその場に崩れ落ちてしまった。

    今日まで、必死にぬるい肉をパンに挟み、素手を直接マヨネーズ瓶に突っ込んでいた俺の苦労は何だったのか。
    窓際で夜風にあてて微妙な温度にしたビールを有り難がって飲んでいた「一日の締め」は一体何だったのか。

    俺がぬるい肉でサンドウィッチを作り、ぬるいビールを無理矢理美味いと思い込んで流し込んでいたその頃、壁一枚隔てた先では大きな冷蔵庫が「ブーン」と余裕の唸りを上げていたのだ。

    なんだか急に色んな事が面倒臭くなり、旅の終わりの感傷的な気持ちもどこかへ消え失せたのでとっとと寝る事にした。

    その後の事はあまり良く覚えていない。

    帰国の日は朝から冷たい雨が降っていた。空港へ向かう二階建てバスの一階最後部の席に座り、窓からぼんやりとエジンバラの街並を眺めていた。
    「もう、この街に来る事はあるまい」
    そんな事を思った所で、特に感傷的な気持ちにはなれなかった。


    エジンバラからアムステルダム経由で十数時間のフライトを経て、日本に帰国した。
    帰国早々ラーメン屋に駆け込み、こってり豚骨ラーメンと山盛りのライスをがっついて、ようやく生き返った気持ちになった。

    19_03.jpg

    今回の旅の教訓はただひとつ。
    「航空券は、酔っぱらってる時に買うな」
    である。

    酔っぱらった勢いでうっかり航空券の購入ボタンを押してしまったおかげで、興味の無いスコットランドまでわざわざ行って美味くも不味くも無い「つまらない食事」を毎日食い続けるはめになったのだ。

    あれからもうじき一年が経つ。

    「喉元過ぎればなんとやら」で、一年前のあれやこれやも今となっては良い想い出である。
    吉祥寺の小汚い部屋で、安物のスコッチウイスキーをユルリユルリと舐めながらパソコンの前で石畳の街の風景を思い出していた。
    不味いサンドウィッチ、ぬるいビール、歩き辛い坂道、殺風景な海。そんな物たちが今ではなぜだかちょっと懐かしく、愛おしさすら感じてしまう。
    きっと少々、アルコールが回り過ぎたのかも知れない。


    気がついたら俺は、今年のエジンバラ行き航空券の購入ボタンをうっかり押してしまっていた。


    16_yokoku.jpg

    〜了〜


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    Dennis Ivanov

    (デニス・イワノフ)

    日本人。
    グラヒックデジャイナー。
    twitter:Dennis Ivanov

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