はえてきたのは

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    初めて生えたのは、人より少し遅めで20歳の時だった。


    何が生えて来たのかって、それはもちろん言うまでもなく「部屋にキノコが」だ。
    一人暮らしを始めた年の、ちょうど今時分と同じく梅雨のジメジメした日だったように思う。
    アパートの部屋の流しに積み上げ溜まってしまった汚れた食器と食器の間から、見た事の無い種類のキノコがニョキンと一本、顔を出したのである。
    驚いて食器類をかき分けて見てみれば、キノコは食器の下の、汚れたスポンジタワシに根付いていた。

    貧乏学生で日々の食事にも事欠いていた俺は、真っ先に「これは食えるだろうか」と考えた。
    一見、しめじに見えない事もないがちょっと様子が違う。
    白くて細長い柄の先に、小振りな黒い傘が開いていた。
    世の中にインターネットなど普及していない時代だったので、ササッと検索して調べるという訳にはいかない。
    しばし熟考の後、腹は減っていたのだが大事を取って食わずに捨てた。

    その日以来、アパートの流しから時々キノコが生えて来る様になった。
    四六時中腹を空かせていた俺は毎回迷い、時には「ちょっと、明日まで考えよう」と判断を保留する事もあったのだが、不思議な事にそんな時は必ず夜が明けて見るとキノコは影も形も無くなっていて、何度も狐につままれた様な思いをしたものだ。

    20_01.jpg

    大学を卒業し、新しい街に引っ越して来てからは流しにキノコが生える事は無く、ミステリアスなあんちくしょうの事はすっかりと忘れて暮らしていたのだが、
    ある日突然風呂場の天井からニョキリとあいつが現れた。

    「こんなところまで追いかけてきやがったか」

    という忌々しい気持ちもあるにはあったが、久々の友人と再開したかのような気持ちが少しだけ芽生えたのも事実。

    「やあ、ひさしぶりだね」

    優しく語りかけつつ、俺は天井のキノコを根元からむしり取り、風呂の小窓を開けて外に投げ捨てた。
    しかし明くる日も、また明くる日もキノコは生えてきた。むしってもむしっても生えてきた。

    そうこうしているうちにすっかり慣れきってしまい、風呂場の天井のキノコは俺にとって日常風景の一部となった。
    風呂に入り、身体を洗う前に、まず天井のキノコをむしりとり、小窓から投げ捨てる。
    そんな生活を数年間続けているうちに、特別に意識する事無く自然に身体が動いて一連の動作をこなせるようになった。

    定番の心理テストで「あなたはお風呂でどこから洗いますか?」なんてな質問があるのだが、
    そんな問いに対する当時の俺の答えはと言えば

    「まずはキノコを鷲掴みにします」

    という、大失敗した下ネタのような由々しき事態になってしまっていた。

    キノコとの共同生活は数年間続いた。
    最早「好き」とか「嫌い」では無く、お互いただ、いつもそこにいる。そんな関係だった。
    当時の記録を探してみたら、格闘技のアマチュア大会で優勝して帰った夜、なんだか良くわからないがメダルとキノコを並べて写真を撮ったりもしていたようだ。
    俺は一体どんな気持ちでその写真を撮ったのだろうか。今となっては全く覚えていないのだが。

    20_02.jpg

    ある日、ふと気になって図鑑を開いて風呂場のキノコの事を調べてみた。
    それは「ヒトヨタケ」という種類のキノコらしく、酵素の作用により自己消化し、その名の通り一夜で溶けてなくなってしまうのだという。
    食用になる物も多いらしいが、アルコールと一緒に摂取すると酷い二日酔いのような中毒症状を起こすらしい。
    松本零士の漫画に出て来る「サルマタケ」も恐らくこいつがモデルなのではと言われているそうだ。

    なるほど。

    長年一緒に暮らして来たあいつの事を、初めてちゃんと知った。
    それまでは名前すらも知らなかったミステリアスな、だが少しだけ気になる存在だったのだが、
    謎に包まれていた私生活を知ってしまったら急に距離が縮まったような、それでいて何か大切な物を失ってしまった様な、複雑な気持ちになった。

    偶然なのかなんなのか、それからパタリと風呂場にキノコは生えて来なくなった。
    程なくして俺はまた引っ越しをして、新しい部屋で新しい生活を始めた。

    この部屋で暮らし始めて5年になるが、未だあいつは現れていない。

    時々、肉を焼いて付け合わせにする食材がちょいと足りず、
    「キノコのソテーかなんか欲しいな」
    などと思うとき、あいつの事を思い出す。

    いつか俺があいつの事を完全に忘れて、時々思い出す事すらも無くなったそんな時、
    不意にあいつはニョッキリと姿を見せるんじゃ無いだろうか。
    その時、俺はきっと、初恋の相手が昔と全く変わらぬ姿で目の前に現れた様な、そんな気持ちになるのではないだろうか。



    まあ、生えて来ても捨てるけど。


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    Dennis Ivanov

    (デニス・イワノフ)

    日本人。
    グラヒックデジャイナー。
    twitter:Dennis Ivanov

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