2013夏のワールドツアー 〜イギリス・ロンドン〜

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    前回からの続き〜


    エジンバラ公演最終日の撮影を終え、俺はすぐさま長距離バスのターミナルへと急いだ。
    夜8時45分にショーが終わってその丁度一時間後、9時45分発のバスでロンドンへと向かうのだ。
    夜の大通りを、スーツケースを石畳にガッツンガッツンバウンドさせながら人混みをかき分けて進んだ。

    ゼイゼイ言いながら20分少々でターミナルに到着。
    既に大勢の乗客が集まってなんとなくの行列を作っていたが、見回したところ学生のような若者ばかりで、明らかに俺が圧倒的に最年長だ。
    俺が予約した便は格安が売りのバス会社の物で、この会社は中古のバス車両を他会社から買い取り、それを自社路線に再利用してコストを削減しているのだという。確かに他のバス会社に比べてダントツに安い。エジンバラ〜ロンドン間が日本円にして二千円に満たないほどの額である。
    ゆえに乗り心地やサービスなどは全く期待出来ない。とにかく金は無いが体力だけは無駄にあるという若者から重宝されているバス会社らしい。

    しばらく突っ立って待っていたら、見るからにやる気の無さそうな係員がやって来てなにやらゴニョゴニョと言った。たぶん「ロンドン行き乗る人、集まって〜」とでも言ったのだろう。
    適当にバラけていた行列が一斉にワッと収縮し、途端に激しい順番争いが始まった。

    中古バスの再利用と聞いていたが、目の前に停まっている大型バスは古さは特に感じさせない綺麗な車体であり、フロントガラス越しに見える車内もゆとりがあって窮屈さなど感じられない。
    心配は杞憂だったなと思いつつ列の進みを待っていると、係員がなにやらまたゴニョゴニョと言った。
    行列の流れが一度止まり、綺麗なバスは満員の乗客を乗せて発車した。
    その綺麗な大型バスの後ろから、何故だか車体を真っ黒に塗られた汚いバスが現れた。
    なんだか邪悪さすら感じさせられるその姿を見て、俺は思わず「うっ」と声を漏らしてしまった。
    係員は黒いポンコツを指差しながらゴニョゴニョと「これ以降の人達はあれに乗って〜」といった内容の事を言った。
    「Oh...」行列の中のどこかで誰かがため息を漏らしたのが聞こえた。
    俺は諦めに満ちた気持ちで行列の中をうつむきがちに進んだ。

    真っ黒に塗られたバスに乗り込むと、既に座席は八割方埋まっていた。
    しかし幸いな事に「最後列の端」という俺の好きなポジションの席に空きがあったので素早く移動し、リュックサックを座席の上の棚に押し込む。
    やれやれ、ようやく落ち着けるわいとシートに腰を下ろしたその瞬間、何故かそのまま座面が前方にスライドし、前席との間の狭い空間の中で俺は尻から床に滑り落ちた。
    慌てて手をかけたドリンクホルダーがパカッと開き、恐らく前の便の乗客が詰めたのであろうガムやキャンディーのゴミ屑がバラバラと俺の頭に落ちてきた。
    わずかな瞬間に色んな事が起こり理解できず混乱した俺は、窓枠に掴まりながらなんとか立ち上がり、そして信じられない光景を目の当たりにした。
    シートの座面が、丸ごと外れて完全に壊れているのである。
    見てみると、どうやら座面を固定している金属製のボルトが全て折れて無くなっているようだ。
    なんの引っ掛かりもなく一切固定されていない座面は、不安定にユラユラと揺れながらただ台座に「乗っかっている」だけの状態だったのだ。
    腰を下ろせばそのまま俺の尻と一緒に前方にスライドして前列シートとの間に落ちるというちょっとした絶叫アトラクション状態になっている。
    冗談じゃない。こんな状態でロンドンまで9時間も耐えられるものか。席を変えねばと慌てて前方を見ると、残っていた数少ない空席には次々と後続の乗客が座ってしまっているではないか。

    「何故こんなめに!」

    無性に腹が立ってきた俺は、外れた座面を持ち上げて台座に無理やり押しつけ、上からガツンガツンと蹴りを入れてやった。
    ここ数日、自分でも意識しないうちに溜まっていたらしきストレスの反動が一気に噴出してしまったようだ。
    「バカ野郎!クソ野郎!死ね!死ね!」小さく抑えながらも思わず声が出てしまった。
    すると、「ガチッ」と何かが奥に嵌る様な音がして、偶然にもシートの座面が固定された。
    俺はそーっと腰を下ろしてみた。座面は動かず、普通に座ることが出来る。
    よっしゃと思わずガッツポーズを取ってふと顔を上げると、車内前方の席で数人の若者が振り返り、怪訝な表情でこちらを見ていた。
    なんだかわからないアジア人のおっさんがぶつぶつ言いながら座席を蹴っていたのだ、さぞかし気味が悪かった事だろう。

    何はともあれようやく落ち着いて座ることが出来た。
    しかも気味悪がられたおかげで俺の隣には誰も座りに来る者がおらず、結果的に車内で俺だけがゆったりと二席を独占出来てしまった。
    ほどなくしてバスは発車し、ロンドンへ向けての9時間の旅が始まった。
    バスは真っ暗な一本道をグングンと進んだ。
    道中、「007 スカイフォール」で描かれた様なスコットランドの寒々しい風景が見られるかと少し楽しみにしていたのだが、窓から見えるのは何ら面白味のない漆黒の闇だけだった。
    やることがないので俺はグースカと眠る事にした。
    途中2度ほど休憩があったようだが、一度腰を上げてしまうと何かの拍子にまた座面が外れてしまう様な気がしたので、俺は無理やり眠り続ける事にした。

    32_01.jpg

    車内アナウンスで目を覚ますともう朝だった。
    予定よりも1時間ほど早く、バスはロンドンのヴィクトリアステーションに到着した。
    時刻は朝の7時前、搭乗予定の飛行機は夜の9時過ぎの便。実に14時間以上もある。
    とりあえず夕方まではロンドンで時間を潰さねばならない。
    特に行きたいところ、観たいところなどは無かったのだが時間がありすぎるのでひとまずバスステーションでスーツケースを預け、ロンドンの街をぶらついてみる事にした。

    特にあてもなく歩き出してはみたものの、こんな早朝にどこへ行けば良いのやらである。
    とりあえず腹が減っていたので、道沿いにあったスーパーマーケットに入ってみた。
    すぐに食えそうな手頃な物は見当たらなかったのだが、ここはどうやら店内で焼いているクロワッサンが売りの店らしいので3つばかり買ってみる事にした。
    店を出て、適当に歩きながらクロワッサンを頬張った。

    俺は、パンという物の味の良し悪しがわからないし、そもそもあまり興味が無い。
    小学生の頃などに給食に出されたコッペパンなどをギュッと握り、小さく小さく圧縮して小石の様な大きさにして食った経験がある人も多いだろうと思う。
    そんな経験からもわかる通り、パンの主成分は空気である。
    あんな物、いくら食ったところでたいして腹の足しにはならないと思うのだ。
    時々、レストランやカフェで

    「パン、食べ放題!」

    などとなんだか自慢げに謳っている店があるが、
    俺からすればあれは

    「空気、吸い放題!」

    そう言われているのと同じなのである。
    異論もあろうが、俺はそう思うのだから仕方ないじゃないか。

    そんなわけで、早朝のロンドンの小綺麗な街並を歩きながらクロワッサンを貪ったわけだが、いかんせん大半が「空気」であるのでいくら食っても腹は一杯にならず、むしろ不満ばかりが募って行くのである。
    「有酸素運動かよ」
    そんな文句を垂れながらダラダラ歩いていたら、やがてバッキンガム宮殿に到着した。
    しかし朝っぱらだというのに入場券を買う窓口に行列、そして入場口にまた行列だ。
    金を払い行列をしてまで中に入りたいという気持ちはこれっぽっちも無かったので、とりあえず外から眺めつつ通過した。

    32_02.jpg

    街中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下鉄やら二階建てバスやらがロンドンの主な交通機関だが、「初めて訪れた街は、とにかく歩いてみる」が俺の主義なのでとにかく徒歩で歩けるだけ歩いてやろうと思った。
    とにかく自分の足で歩いてみて、そこで初めてその街の空気や大きさを感じる事が出来ると思うのだ。

    道に迷いながらしばらく歩き、なんだか由緒ありそうな大聖堂などを冷やかした後、テムズ川に出た。
    橋を渡り、いかにもロンドンロンドンした風景を眺める。

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    対岸の川沿いを歩いていたらなにやら屋台がたくさん出ていた。
    どこの国に行っても屋台がずらりと並んでいる様子というのは心躍るものだ。
    思いがけず楽しい気分になり、腹も減ったのでここらで何か食ってやろうと一軒一軒吟味しつつ歩いた。

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    そんな中に、大きなソーセージを焼いてパンに挟んで野菜をドチャリと載せたホットドッグを売っている屋台があった。
    「またパンか」
    そんな思いもあるにはあったが、焼網の上に並べられたブリブリのソーセージのビジュアルに一目惚れしてしまったのでこいつを食ってみる事にした。

    32_05.jpg

    何か聞かれる度にカタコト英語とジェスチャーで「なんでもいいから全部入れてくれ、かけてくれ」と伝えて受け取ったホットドッグはなかなかに美味そうで、道端のベンチに座ってすぐさま齧り付いた。
    ガブリと噛み付くと、パツンとソーセージの皮が弾ける感触と共にチュワリと肉汁が溢れ、同時にやや強めの塩味と、トッピングされたピクルスの塩味と、野菜類につけられたドレッシングの塩味とが渾然一体となり、より大きな塩味が口の中一杯に広がる。
    要は「しょっぺえな」という印象しか無いのである。
    残念ながら、肉の旨味や野菜の甘味、酸味、等々、味に奥行きが今ひとつ弱いように思った。
    もちろん好みという物もあるし、この時の俺の気分や体調に合わなかっただけなのかも知れない。
    しかし腹は減っていたのだがどうにも満足感に乏しいという、そんな食事に少々納得がゆかず、眉間に皺を寄せてうーむと険しい表情になってしまっている自分に気づいていかんいかんと思った瞬間、あろう事かまだ三分の一ほど残っていたソーセージがズルリとパンから抜け落ちて地面に落下してしまった。
    「うわあああ」
    自分でも情けなくなる程に狼狽しつつ拾い上げ、ササッと汚れを払って口に放り込んだ瞬間、すぐ近くで五才位の男児が「あっ!」という口の形のまま怪訝な表情で俺を見ていた。

    32_06.jpg

    その後、川を下って再び橋を渡り、あちらこちらと道に迷いながら歩いていたら何やら大きな広場に出た。
    どうやらトラファルガー広場というらしい。多くの人で賑わっているその広場、なにやら聞き覚えがある名前なのできっと有名な場所なのだろう。
    広場の先にはなにやら立派な建物があり「National Museum」と表記がある。
    背中のリュックの中にはノートPCと撮影機材一式で10kg近い荷物が入っており、そんな重量を背負って朝っぱらから延々と歩き続けた疲労もあり、もうあまり移動はしなくて良いかなと思い始めたところだったのでなんとなくナショナルミュージアムの中に入り、物のわかった人間のようなフリをしつつ、数百枚はあろうかという中世の宗教画などを眺めて過ごした。

    32_07.jpg

    その後バスステーションに戻ってスーツケースを受け取り、まだ時間は早いが地下鉄に乗って空港へと向かう事にした。
    4時間ほど早く到着してしまったので空港ロビーのベンチでノートPCを開いて遅れ気味だった仕事を進める事にした。
    しかし目の前にあったエレベーターのドアが閉まる度に女性の自動音声アナウンスが「ジョージ・クルーニー!ジョージ・クルーニー!」と連呼してうるさい事この上無く、集中力を削がれていまひとつ捗らなかった。実際は何と言っていたのかは俺のヒアリング力では全くわからなかったが、この時以来俺の中で少しばかりジョージ・クルーニーの印象が悪くなった。好きな俳優だったのに残念だ。

    そうこうしているうちにカウンターが開いてチェックインが始まり、出国をすませて搭乗ゲートへ向かう。
    途中トイレに立ち寄った際、他に誰もいなかったので俺は我慢出来ずに頭を洗う事にした。
    前日の朝にエジンバラのホテルをチェックアウトしてからもう30数時間が経過している。その間あちらこちらと歩き回った。その間、日本から持って来たシャワーシートを使用していたので身体に関してはどうにかなっていたのだが、どうにも頭を洗いたくて仕方が無かったのだ。

    洗面台の蛇口を開き、ジャジャーと勢い良く流れる水の中に頭を突っ込んでワシャワシャと掻きむしるように髪と頭皮を洗った。
    気持ちよくて思わず漏らした「ヒェ〜〜〜」という声が水音とともにトイレに響く。
    ひとしきり洗った後に、ハンカチでワシワシと頭を拭きつつ横を見ると、いかにも英国紳士といった風情の品のある初老の男性が怪訝な表情でこちらを見ていた。

    なんだか今日はいろんな年代の怪訝な表情を見る一日だな。
    そんな事を思いながら俺はさっぱりとした気持ちでトイレを出た。

    タイ国際航空のバンコク行き機内に乗り込むと、途端になんだかホッと気が抜けた。
    まだ離陸すらしていないが、ようやくアジアに帰って来たような気分になった。
    1週間振りに聴く機内アナウンスのタイ語がなんだか耳に心地よい。言ってる内容は全然わからないけどなんだか安らいだ気持ちになった。
    そうこうしているうちに飛行機はゆっくりと動き始め、窓から見えていたロンドンの夜景はあっというまに遥か下へと流れて行った。
    ひと心地着いた頃、良い匂いと共に運ばれて来た機内食のグリーンカレーを一口食べた瞬間、なんてうまい食い物なんだろうと思ってしまった。

    「うああ、うんめーっ」

    思わず声を漏らしてしまい、ちょっとだけ涙を流している自分に気づいた。

    ふと横を見ると、隣席の白人女性が怪訝な表情で俺を見ていた。


    〜次回に続く〜


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    Dennis Ivanov

    (デニス・イワノフ)

    日本人。
    グラヒックデジャイナー。
    twitter:Dennis Ivanov

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