NG

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    「お正月には帰って来ますか?」

    昨年末、携帯電話がプルルと振動し、そんな題名のメールが届いた。送って来たのは実家の母親だ。
    母親はもう70歳を過ぎているのだが、ここ最近になって携帯電話のメールを覚えたようで絵文字満載らしきメールを時々送って来るようになった。

    「絵文字満載らしき」と書いたのには理由がある。
    以前孫が使っていた物をお下がりで使用しているという母親の携帯電話は、「ガラケー」などという言葉が産まれる以前に生産された、なかなかに古い機種である。
    そんな機種に搭載されている絵文字ライブラリーは、俺が現在使用している比較的新しい携帯電話とは電話会社が違う事もあり互換性に乏しいのだろう。
    本来絵文字が表示されるであろう箇所に(NG)と赤字が表示された状態で俺の元に届くのだ。

    「元気ですか?(NG
     お正月(NG)は帰って来ますか?(NG
     連絡も無く、みんな心配してますよ(NG
     たまには電話(NG)して下さい(NG)」


    なんだかよくわからないが、「ひょっとして、帰らない方が良いのだろうか」と思ってしまう様な文面のメールがやって来るのである。
    少々困惑しつつの大晦日、東京から近くも遠くも無い微妙な距離を電車とバスを乗り継いで約3時間。実家の門を一年ぶりにくぐった。

    「おう、帰ってきたか」
    玄関でまず俺を迎えてくれたのは飼い犬だ。
    何があったのか定かではないが恐らく実家の人々による「年末年始の浮かれ感」の犠牲にでもなったのだろうか、なぜかモヒカン刈りにされていた犬が床に敷かれた毛布の上で丸まったまま、一年振りの俺の顔を一瞥して2〜3度尻尾を振り、すぐにプイとそっぽを向いた。

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    東京で一人暮らしを始めて今年で23年目。
    いまや実家で過ごした年月よりも一人暮らしで過ごした期間の方が長くなってしまった。帰省するのは年に一度。正月に一晩だけ。
    とは言え、身体が記憶している「実家感」という物はそうそう消える事が無く、部屋が真っ暗でもサッと電気のスイッチのある場所に無意識に手を伸ばす事が出来たり、何十年も前から変わらずひどく建て付けの悪いボロボロのサッシをカクンと絶妙なコツが必要とされる力加減で今でも自然に開け閉めする事が出来たり。実家における全ての必要な動きが相も変わらず身体に染みついている事を再確認する。
    そしてその度に、「ああ、実家だなあ」としみじみ思うのである。

    そんな慣れ親しんだ実家ではあるが、かつての俺の部屋は今やもう無く、そこは現在両親の寝室となっている。
    仕方が無いので帰省時には普段は使っていない半物置と化した部屋に布団を敷いて寝るのだが、この部屋は両親が長年に渡って誰かに貰ったり、旅行先で何も考えずに買って来てしまったりしたであろう何とも言えず統一感の無いインテリアに囲まれている。
    まず中心には、どこで何の為に入手したんだかよくわからない巨大な「刺身の舟盛りに使われる木製の船」があり、その上には誰かのアフリカ土産らしき大きな「ダチョウの卵の殻」がドンと鎮座ましまして無意味な「有難い物感」を醸し出している。
    刺身舟の両サイドは「20年以上、ケースの中で倒れたままのフランス人形」と「首が取れかけた日本人形」という不吉なツートップががっちりと固めている。
    不吉人形の足下では、かつて祖母が亡くなる数年前の比較的元気な時期に作りあげた「煙草の空箱で作られた大名行列」というなんだか「捨てるに捨てられない」一群が賑やかに行進しており、背後の壁面には「ルノワールの複写画」「蝶とサソリの標本」「俺が中学校の授業で描いたヘタクソな静物画」が同列の価値観で飾られている。そしてそんな全体を棚の下から「ワニの剥製」がビー玉が嵌め込まれた瞳をキラッキラさせて見上げている。

    そのようなややこしい空間の隅っこにかろうじて布団を敷き、なんとか眠ろうとしたのだがなんだかどうにも落ち着かず、翌朝やたらと早い時刻に目が覚めてしまった。

    しかし実家に居たところでこれといってやる事が無い。
    例年であればさして興味の無いおせち番組をただただ眺めるというぼんやりとした時間をすごすのだが、今年は近所をブラリと散歩してみる事にした。
    実に20数年ぶりに歩いて回った故郷の街は、なんだか不思議と新鮮だった。
    過疎化が進んですっかりシャッター通りと化してしまった商店街は、近年は映画やドラマのロケ地としてなんとか地元を盛り上げようと、テレビ局各社や映画制作会社などへの売り込みを積極的に進めているらしい。
    その甲斐あってか、ここ最近は油断して映画など観ていると、懐かしい風景が思いがけず画面に登場してストーリーにイマイチ入り込めない事がままある。

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    そんな、自分の中で最近はむしろ映画の舞台としてお馴染みになってしまった風景を不思議な気持ちで見て回った後、地元の産直センターに立ち寄っていかの塩辛を買った。
    帰省した際、俺が最も楽しみにしているのがこの塩辛を買う事だ。
    年に一度、年明けにこいつを5、6瓶ほど買い込んで東京に戻るのである。
    漁協が販売しているこの塩辛はスルメイカの肝と身をたっぷりと使って仕込まれており、そんじょそこらのスーパーで売っているような代物とはレベルが違うのだ。
    炊きたてのホカホカメシにこいつをドチャリと乗せて食うのが俺にとっての至福の楽しみ。
    なんなら柚子の皮などチョチョイと乗せたら美味さも倍増。
    メシの甘味とイカの旨味、肝の深みなどが合わさって喉を通過して行く瞬間にはえも言われぬ幸福感を感じさせてくれる。
    しかし美味すぎて満腹になる事が無く無限に食い続けてしまうので注意が必要だ。
    「水のようにクイクイ飲めてしまう酒」なんてな言葉があるが、こいつさえあれば「水のようにクイクイ食えてしまう飯」だ。

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    散歩から戻り、東京へと帰る準備をしていたら母親がやって来て「終電で帰れ」「なんならもう一泊しろ」と何度も言う。
    少し離れたソファに座っている父親もこちらを見ずに「うん、そうだな」と何度も母親に相槌を打つ。
    しかし今日はなるだけ早い時間に東京に戻って進めたい作業があるという旨を伝えると二人ともどうにも残念そうな様子になり、こちらも心苦しくなる。
    我家の両親は幸いまだ存命だが、さすがに目に見えて年老いて来た。
    昨年は父親が長年患っている糖尿病の影響だかで低血糖症に陥って意識を失って倒れ、救急車で緊急搬送された。
    幸い処置が早かった為に大事には至らなかったようでなによりだ。
    そして母親は母親で原因不明の脚痛になってしまい数日間立ち上がる事が出来なかったそうだ。
    それでも二人とも、今もなんとか家業を続けている。
    しかし両親と一緒の正月を、俺はあと何度過ごせるだろうか。
    そんな事を考えるとなんだか少し切ない気持ちになってしまった。

    「ま、そんじゃまた」

    玄関先で両親と犬に軽く挨拶をして、今年もまた早々に実家を後にした。
    東京へと向かう電車の中、ポケットの中で携帯電話がプルルと振動し、母親からのメールが届いた。


    「またいつでも帰って来なさいね(NG
     久し振りに顔(NG)を見られて嬉しかったです(NG)(NG)(NG)」


    一年振りの帰省だったというのに「ひょっとして、帰らない方が良かったのだろうか」と思ってしまう様な文面である。
    それにしてもNGマークだらけのメールを眺めていたら無性に腹が立って来た。

    両親への嫌がらせに、今年はいつもよりちょっとだけ多く帰省してやろうかと思う。



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    Dennis Ivanov

    (デニス・イワノフ)

    日本人。
    グラヒックデジャイナー。
    twitter:Dennis Ivanov

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