峠の向こうで飲んだ水

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    ミニバスは夜の峠道を走っていた。
    急なカーブを曲がる度に身体は右に左にと大きく揺れたが、俺は無言のまま身を任せていた。

    日本はまだまだ寒い3月上旬の夜遅く、南国タイのプーケット空港で俺は人を待っていた。
    ここは世界有数のビーチリゾートである。素敵な女性と訪れたならさぞかし愉快なのであろうが、俺の待ち合わせ相手は50才のヒゲ面中年男性。旅好きの音楽家、K氏である。
    飛行機の都合で1時間ほど早く到着していた俺は到着ゲートを出てすぐの場所にあるベンチに座ってノートPCを開き、胸躍る南国ビーチリゾートの玄関口から武蔵野市の大家の銀行口座に今月の家賃と駐輪場代を振り込むという、旅情緒の欠片も無い作業などをして時間を潰していた。
    そうこうしているうちに人混みの中から見慣れた顔が現れた。
    「やあやあどうも」
    ほぼ定刻通りに到着したK氏と無事合流し、早速乗り合いタクシーで宿へと向かう。時刻はまもなく午前0時。
    車で夜のプーケット島を南下し、小一時間で本日の宿泊場所があるパトンビーチに到着した。

    今回、旅慣れたK氏が予約しておいてくれたホテル。
    それは道路を挟んですぐ目の前がビーチという素晴らしいロケーションにあった。
    俺は一歩敷地内に足を踏み入れた瞬間、思わず「おおぅ・・・」と低く呻き声を漏らしてしまった。

    素敵。

    俺が普段泊まる様なリーズナブルで簡素な宿とは違い、とにかく素敵なのである。
    コの字形の建物の中庭部分はすべてプール。それもバッシャバシャ泳ぐ様な本気プールではなく、ユルリと浅めの水の中を散歩しなながら、東屋風のバーで洒落たグラスに傘が刺さっている様な浮かれたカクテルを優雅に舐める、そんな感じのプールだ。

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    部屋のバルコニーからはそんな素敵プールが一望出来る、なんとも素敵な素敵なリゾートホテルなのである。
    唯一の惜しい点を強いて挙げるとするならば、「ヒゲ面の中年男性が二人で泊まる」というこの現実位のものだろうか。
    夜更けのバルコニーで月明りを浴びながら中年男が二人並び、
    「これは・・・良いですなあ」
    などとモゴモゴと呟きながら佇んでいる様は、傍から見たら完全にカップルであったろう。残念ながら我々にそのケは無いのでそれぞれのシングルベッドでグースカ眠った。

    翌日、早速プールにボチャンと入ってパチャパチャ泳いだ後に、そのままホテル前の道路をビショビショ渡ってビーチでゴロゴロと寝転がり、波の音を聞きながらビールを飲んだ。
    空はスコンと淀みなく青く、太陽はギラギラ照りつけて、白い砂浜にはビキニ姿のお姉さん方。
    沖合からはパラセーリングに興じる浮かれた人々の歓声などが聞こえて来てなかなかに賑やかで、「これぞ正しき南国リゾート」といった風情を存分に堪能した。

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    さて、プーケットにやって来た最大の目的。それは「サイモンキャバレーでショーを観る」という物だった。
    とあるテクノ系大御所ミュージシャンが20数年程前から何度も訪れているというサイモンキャバレーなる店がある。
    ここはニューハーフ達のショーが観られる老舗的なお店であり、かのミュージシャンはここでショーを観て、そして彼女らの精神性やその存在に大いなるインスピレーションを受けたという。氏のCDジャケットやライブショーにはしばしばサイモンキャバレーの現役および出身の踊り子達がゲストとして登場し、その圧倒的な存在感でステージに華を添えてくれたりもしていた
    「聖地巡礼」と言っては大袈裟ではあるが、氏の数々の作品を好んで見聴きして来た俺にとって、サイモンキャバレーは「いつか行かねばならない場所」であった。
    俺のそんな話に旅好き音楽家K氏も興味を示してくれて、サイモンキャバレーを目指して今回一緒にプーケットを訪れる事に相成ったのである。


    いまや数々のガイドブックにも載るような人気店である。「予約は必須」との記載を見かけたのでひとしきり泳いだ後に街へと繰り出し、通りに面して何軒もあるツアーカウンターのひとつで暇そうにボンヤリ座っている男にK氏が訪ねる。
    「今夜サイモンキャバレーに行きたいんだけど予約できる?」

    男は「オーケーオーケー。あるよあるよ。これねこれこれ」と、笑顔でパンフレットを差し出した。
    K氏と俺はふむふむとパンフを覗き込んだ。
    事前に見聞きしていた情報とは違って、パンフレットにはやけに露出度が高くねっとりとした湿り気のある、エロス丸出しな写真がズラリと並んでいる。

    「なんかこう、イメージしていたより随分と生々しいショーですなあ」

    などと言いながらちょっと戸惑いつつ読み進んでふと気がついた。パンフレットのどこにも「サイモンキャバレー」の表記など無い事に。
    「おい、これ普通のストリップショーのパンフレットだろ!」
    カウンターの男に問いただすと、男は悪びれる様子も無く笑顔で親指を立てながらこう言った。
    「こっちの方が面白いよ!女!裸!もうビンッビンになるよ!」

    調子に乗って舌まで出してはしゃぐ男に、我々はすかさず抗議した。

    「いらん!俺たちが求めているのはこれではない!」
    「女のストリップには興味など無い!」

    正しくこちらの意思を伝えただけではあるのだが、この時点で我々、この男から完全に「何かに認定」されたであろう。

    「あ、そういう事ね。はいはいサイモンキャバレーね。えーと、送迎付きで700バーツ。じゃあ7時にホテルのロビーに送迎が行くから。うん。」
    男はサイモンキャバレーのパンフレットを手に持ちヒラヒラとさせながら、勝手に何かを理解した様な表情で書類をサササと書き込み、金と引き換えに予約表のカーボンコピーをホイと差し出した。
    「じゃあね。楽しんで」


    あらぬ誤解を招いたような気もするが無事にサイモンキャバレーの予約も済ませ一安心。だが夜のショーまではしばし時間がある。
    腹も減ったしせっかくだからシーフードを食ってやろうという事で、パトンビーチ界隈のレストランを吟味しつつ歩いた。
    店頭の水槽の中で大ぶりなシャコがウネウネと元気良く動き回っていた一軒に入り、一匹一匹指差して生け捕りにして貰った。
    江戸前寿司などで良く見る日本のシャコとは違ってかなり大型かつカラフルな南国のシャコは、見ようによってはなかなかにグロテスクである。

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    調理法を指定して注文し、氷入りのシンハービールを飲みつつ待っていると、まずは生牡蠣が運ばれて来た。
    殻の中でツヤツヤプルルンと鎮座ましましている大振りの身を、トゥルリと口の中に滑り込ませる。
    舌の上でしばしコロコロと感触を愛でた後、その柔肌にカプリと歯を立てると途端に濃厚な海の香りが広がる。
    おおうと思わず感嘆の声を漏らしつつ冷たいビールで喉の奥まで一気に流し込む。

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    そうこうしている内に、さっきまで水槽の中で暴れていたあのシャコが熱々の鉄板焼きに姿を変えて現れた。
    ぶつ切りにされ、たっぷりのニンニクと共に表面をカリカリッと香ばしく焼かれたその殻をアチアチ言いながら剥いて、白い身を口に放り込む。
    プリップリ。
    プリップリである。ほのかに押し返して来る弾力を楽しみつつガプリと噛み締めると、甘味と旨味が一体となった「幸せ汁」がブリュリュと口の中いっぱいに溢れる。
    もう、これだけで食の面においてはプーケットにやって来た甲斐が充分にあった。

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    と、目の前で同じくシャコに食らいついていたK氏が突然「かゆいかゆい」ともがき出した。
    何事かと聞いてみれば、K氏には甲殻類アレルギーの気があり、年々症状が重くなって来ているという。
    恐らくあと数年で症状が更に進んで一切口に出来なくなるだろうから、いまのうちに好きなエビカニ類を食べられるだけ食べておくつもりなのだと決意を語るK氏。
    なんだか悲壮感すら漂う食に対するその姿勢に2割ほど軽く感動しつつ「そこまでして食うか」と8割方呆れながら俺もシャコを貪った。

    すっかりメシを平らげビールも飲んで、満ち足りた気持ちで夕暮れの浜辺を散歩しながら宿に帰った。

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    メールチェックやらなんやらして一息ついているうちに、いよいよサイモンキャバレーに向けて出発する時間になった。
    期待に胸を膨らませ、ホテル前に迎えに来たミニバスに意気揚々と乗り込む。
    道路が渋滞しているのかはたまた工事をしているのか、なかなかサイモンキャバレーには到着しなかった。
    それどころか何故だか車は峠道を登り始めて、俺は少々不安になってきた。
    「ずいぶん、遠いですなあ」
    「パンフレットの地図では、歩いても行けそうな距離に見えたんですけどねえ」
    このままどこか遠い場所に拉致されてしまうのではなかろうか。
    そんな不測の事態すらも頭をよぎり始めた頃、車は無事にきらびやかな雰囲気のキャバレーの広々とした駐車場に到着した。

    20年来の想いがついに果たされようとする、記念すべき瞬間である。
    俺は深呼吸をして、バスを降りた。
    ついに来た。ここがあのサイモンキャバレーか。
    フーとゆっくり息を吐きつつ見上げると、派手な衣装に身を包んだニューハーフの踊り子さんたちの写真。
    その艶やかな姿で彩られたサイモンキャバレーのきらびやかな看板が燦然と輝いて俺を迎えてくれた。
    俺は感極まりながら、サイモンキャバレーの看板を心に刻むべくその店名をしっかりと見つめた。

    「アフロディーテキャバレー」

    ん?

    「アフロディーテキャバレー」

    まるで昭和の漫画表現の様にゴシゴシと目をこすり、もう一度見た。
    仕切り直しである。
    さあ、ここが20年前から来てみたかった憧れのサイモンキャバレーか。

    「アフロディーテキャバレー」。

    いやいやここがあのカリスマ音楽家が多大なる衝撃を受けたというサイモ「アフロディーテキャバレー」。

    そんなはずはな「アフロディーテキャバレー」。

    その後20秒程看板を凝視したが、俺のボンクラ頭は事態を把握出来なかった。
    そして俺は看板の文字を噛み締める様にゆっくりと音読した。

    「アフロディーテキャバレー」


    「・・・」

    横に居るK氏に向けて、ついに俺は認めたくない現実を口に出した。

    「・・・ここ、違う店です」

    「ええっ!?」

    K氏がミニバスの運転手に詰め寄り、看板を指差しながら聞いた。
    「ここ、サイモンキャバレー?」

    運転手は声を出さずに「うん」と頷いたが、明らかに視線が泳いでいる。
    あそこまで見事に泳いだ視線の人物を見たのは人生二度目だ。

    中学1年生の時、放課後の教室で仲良し4人だけ残って遊んでいた際、俺を含めた3人でちょいとトイレに行った。
    用を足し一番最初に戻って来た俺は、一人だけ教室に残って待っていた田上くんが三つ折りにされた千円札をズボンのポケットに仕舞う瞬間を見た。
    なぜだか田上君は「あっ」という表情になった。
    俺はブレザーの内ポケットに丁度千円札を2枚入れて椅子にかけたままにしていたので、まさかとは思いつつ念の為にポケットを探ってみた。
    千円札は無くなっていた。
    俺は田上君を見つめて言った。
    「そのお金、僕のじゃないよね?」
    田上君は目をそらし声を出さずに「うん」と頷いた。

    あの時の田上君以来の、実に見事なワールドクラスの「泳いだ視線」だった。


    何故だかそんなどうでもいい個人的な過去の光景を脳裏に甦らせつつ、目的にしていた場所とは全然離れたよくわからない店の前で俺はK氏と顔を見合わせ、二人同時に声に出した。

    「あの野郎!」

    トラベルカウンターの調子良い男にまんまとしてやられた。
    「オカマショーなんてどこも一緒だろ」
    奴が舌を出しながら調子良く喋る声が聞こえてくるようだ。
    あの男にしてみればこちらの20年来の想いなど知った事では無い。予約の取りづらい人気老舗店のサイモンキャバレーでは無く、恐らく後追い業者が最近作ったと思しき類似店に適当に回されたのだ。
    しかし、ここはホテルからは峠を越えて辿り着いたようなよくわからない場所である。怒って帰る訳にも行かない。
    仕方無くアフロディーテキャバレーの中に入り、ロビーでショールームの開場を待つ事にした。
    「まあ、ここで面白いショーが観られればそれで良いか」などと自分をなだめながら。

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    入口で引き換えたチケットには1ドリンクチケットが付いていた。
    とりあえずビールでも飲むかとバーカウンターに行きチケットをバーテンダーに差し出すと、水の入った小さなカップ容器をポイと差し出された。

    俺は急激になんだか「この世の全てが面倒臭い」そんな気持ちに支配されてしまったのでそのまま水を受け取り、ロビーのソファに座ってカップの紙蓋にプスリとストローを突き刺して、K氏と二人並んで無言でチューチューとストローで水を飲んだ。
    そうこうしているうちにロビーは開場を待つ人で一杯になり始めた。見たところ中国人と韓国人の団体客が大半を占めているようだ。
    行列や混雑が大の苦手である俺はみるみる下がって行くテンションをなんとか気力で支えつつ、開場を待った。

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    ショールームが開場され中に入るとそこはなかなかに立派で大きな劇場になっており、席は前から三列目でセンター通路脇という非常に観やすい席だった。
    席の良さに僅かながらも自分の中でテンションが上がった。こうなった以上、ここでのショーを心から楽しもう。そんなポジティブな思考に切り替わった。
    ほどなくして荘厳だがどこか安っぽい音楽と共に場内は暗転し、ショーが始まった。
    民族音楽やらどこかで聞いた事のある西洋ポップスやらに合わせてニューハーフの踊り子さんが入れ替わり現れてはユラユラと舞い、その回りでは男性ダンサーズがイマイチ揃っていないダンスで華を添える。微妙なクオリティの書き割りやハリボテのセットによって目まぐるしく場面転換がなされる中、踊り子さん達は中途半端なリップシンクで歌に合わせて口をパクパクさせている。

    「学芸会」

    ポジティブ思考を押しのけて、そんな三文字が頭に浮かんでなかなか消えない。

    なんだか困った気持ちになりつつふと横のK氏の様子をチラリと窺うと、腕を組み眉間に皺を寄せ、殺し屋の様な顔をしてステージを観ている。

    そんなこちらの複雑な気持ちなどお構い無しにショーは進み、やがてニューハーフの踊り子が引っ込み、男性ダンサー達だけが韓流ポップスのヒット曲「江南スタイル」に合わせて口パクで延々と楽しそうに踊るという演目が始まるに至って「俺はここまで来て、一体何を観ているんだ?」というやるせない感情で一杯になった。

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    うつろな瞳でぼんやりとしているうちにショーは終わり、我々は眉間に刻まれた皺が消えずプラトンの石像の様な顔のままに駐車場へと向かった。
    「シャシントルー!イッショニトルー!」
    チップ目当てでグイグイ腕を掴んで来るニューハーフのお姉さん方をやんわりと振り払いつつ哲学者二名は無言でミニバスに乗り込み、車はまた峠道を街に向かって登り始めた。

    なんだか消化出来ない想いを抱えながら俺は考えた。
    もう一度、本物のサイモンキャバレーに行くべきだろうか。

    様々な情報を見聞きしたこの20年の間に俺の中でサイモンキャバレー幻想が膨らみすぎた可能性は大いにある。
    今日のショーだって、「違う店に来てしまった」というショックから厳しい目で観てしまったが、他の多くの客達は楽しんでいたではないか。
    いざ本物のサイモンキャバレーでショーを観たところで、今日と概ね似たり寄ったりの物である可能性も大いにある。
    そして何よりも俺が恐れているのは、別のトラベルカウンターでサイモンキャバレーの予約をし、さあ今度こそと出発した送迎の車が再び峠道を登り始めてしまった場合の事だ。
    もしそうなってしまったら、俺はその絶望感に耐えられる自信が無い。

    このまま、この地を去ろう。縁があればいつかまた来られるだろう。
    無理矢理自分を納得させた。

    真っ暗な夜道を走るミニバスの中で、なぜだか俺はまた田上君の泳いだ視線を思い出していた。
    そう言えばあの後、田上君と俺はどうなったんだったか。
    記憶を辿っていると、俺の中で何者かが「思い出すな!」と警告を発して来たので、俺はそのまま田上君の事を心の奥の引き出しに入れてしっかりと鍵をかけた。
    ついでに、さっき観たショーの記憶も一緒にポイと投げ入れた。

    峠道を登りきると、ようやく遠くにパトンビーチの灯りが見えて来た。
    急なカーブを曲がる度に身体は右に左にと大きく揺れたが、俺は無言のまま身を任せていた。


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    Dennis Ivanov

    (デニス・イワノフ)

    日本人。
    グラヒックデジャイナー。
    twitter:Dennis Ivanov

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