秘密の楽園

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    前回からなんとなく続き〜

    プーケットの東海岸から出港したフェリーは、燦々と降り注ぐ南国の陽光の下、ザブザブと白波を立てながら快調に進んでいた。
    旅好きの音楽家K氏と俺の中年男性二人組が向かう先はタイ南部にあるピピ島。大小いくつかの島から成るこの諸島は、アレックス・ガーランドの原作小説を元にしたダニー・ボイル監督、レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ザ・ビーチ」の舞台にもなった場所である。

    〜退屈な日常から離れ、刺激を求めてバンコクを訪れた主人公(ディカプリオ)は安宿で出会った謎の男から秘密の島の話を聞く。その島には、外界から隔絶された究極の楽園があると言う・・・〜

    そんな導入で始まるこの映画の「秘密の島」こそが我々がこれから向かうピピ島なのである。
    まあ「秘密の島」もなにも、そんなものはもちろん映画の設定の話であって、ピピ島は今やどんなガイドブックにも載っているようなリゾート地なのだが、それを差し引いても期待は高まろうというもの。
    そんな映画の舞台に選ばれたという事は、きっとそれだけの魅力がある場所なのだろう。
    道中、フェリーの甲板や一階船室からの眺めは素晴らしく、多くの乗客はそれぞれが確保したベストポジションで南国の日差しと爽やかな海風を浴びながら見事な景色を堪能していた。
    が、港への到着が遅れてしまった我々は手頃な場所が確保出来ず、冷房が異常なまでに効き過ぎて冷蔵庫のような状態になった船底近くの薄暗い船室でガタガタと震えながらひたすらに島への到着を待っていた。

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    2時間程経過し、汽笛の音で冷凍睡眠から目覚めて小窓から外を見ると、すぐ近くにピピ島の港が迫っていた。
    ほどなくしてフェリーは諸島内で最も大きなピピ・ドーン島のトン・サイ湾の港に接岸した。
    今回の宿は窓から港が一望出来るという、これまた素敵なロケーション。つくづく残念なのはやはり「ヒゲ面の中年男性が二人で泊まる」という残酷な事実ではあるがこれは最早仕方あるまい。
    ホテルにチェックインした後、早速島内を散策に。

    プーケットの猥雑さとは違い、ピピ島には実にのんびりとした時間が流れていた。「島時間」というやつだろうか。
    島内の道幅は狭いので車は一台も走っておらず、流通物はすべて人力のリアカーで運搬されている。リアカーが人混みの中を通る時などは人夫が「ピッピー!」と、口でクラクションを鳴らすのだがこれがなんとも間が抜けていて実によろしい。
    島内には猫が多く、人に慣れ切っているのか道端や商店の軒先などであまりにも無防備かつふてぶてしい表情で思い思いに寛いでいる。
    そして10年ほど前にスマトラ沖地震による津波に見舞われて甚大な被害を被ったこの島には「TSUNAMI EVACUATION ROUTE」の標識がそこかしこに立てられていた。過去の経験から有事の際の避難路が整備されているようだ。

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    午後、港からボートタクシーに乗って島の南東のロングビーチへと向かった。
    白い砂浜、エメラルドグリーンの海。正しく南国なビーチにゴロリと横になってスコンと抜けた青空を眺める。
    しばし日常生活の些細な事柄など全てキレイさっぱり忘れて解放され、心の底から南国を満喫していたら不意に南国感皆無な四文字が脳裏に浮かんだ。

    「確定申告」

    呑気に砂浜でパンツ一丁になってゴロゴロしてはいるが、この時カレンダーはすでに3月に突入していた。
    毎年毎年期限ギリギリになって半ベソ状態でこなす、大の苦手な数字と格闘しなければならない作業。あの確定申告の申告期限が迫っているのである。
    俺の作業が遅くなればなる程に担当して頂いている会計士の方に多大な迷惑がかかるという事もあり、どうしても打ち消し切れない不安が常に頭のどこかにモヤモヤと存在した状態なのだ。
    しかし海外に居るのでいま焦った所で為す術は無い。拳を強く握りしめ歯を食いしばって不安な思いを全力で掻き消す。
    リラックスリラックス。南国の島で、些細な事など忘れて心も身体もリラックスするのだ。必死になって何度も自分に言い聞かせていたら、噛み締め過ぎた奥歯がガリッと音を立てて少し欠けた。

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    そうこうしているうちにいつの間にか我々は浜辺でグースカ眠りこけ、目覚めたら既に太陽が沈みかけていた。
    再びボートタクシーで港に戻り宿でグータラしているうちにすっかり夜になり腹も減ってきたので、外に出て島内のレストランを吟味しつつ中年2人組は歩いた。
    島に来たからには当然メシは魚である。島の外周をグルリと囲んだ小道沿いに点在する多くのレストランは店頭に新鮮な魚介類を「どうだ!」とばかりに並べているので見ていて楽しい。
    その中の、巨大で不細工な魚がドデンと鎮座ましましている一軒の前で我々は足を止めた。
    「これは、うまそうですなあ」
    「いってみますか」
    名前のわからない不細工巨大魚とエビ、イカ等々の食材を指差して注文し、オープンエアーのテーブルでビールを飲みつつ料理の出来上がりを待つ。
    ほどなくして運ばれて来た、鉄板焼きで熱々に調理された魚介類。やはり新鮮なシーフードと言う物は見た目の色気が抜群だ。

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    ガブリと喰らいつき、ハフハフ言いながら旨汁にまみれて夢中で貪った。
    今宵も途中から、甲殻類アレルギー持ちのK氏が痒い痒いと呻き始めたがお構い無しに俺は貪った。
    あらかた食って人心地つき、引き続きビールを飲みつつ先ほどまでの料理の余韻を楽しむ。
    すぐ近くでは可愛らしい猫がフニャフニャとじゃれながら走り回っており、なんというか実に平和そのものだ。
    微笑ましい光景に目を細めていたらどうやら猫は何かを追いかけ回している。
    よくよく見てみると、猫は南国特有の大ぶりなゴキブリを嬲り殺しにして遊んでいるではないか。
    ヨロヨロと逃げ回る瀕死の大ゴキブリに対して猫パンチを何度も繰り出し、時にパクリと口に咥えてはハムハムと甘噛みし、ペッと吐き出してはまた追いかけ、パンチ、そして甘噛み。
    目の前でそんな遊びを延々と繰り返されてはせっかくの幸せ南国海鮮ディナーの余韻も台無しである。
    猫は好きだが、万が一にでもその獲物を口に咥えてこちらに走り寄って来るような事があったら自然に身体が反応してしまい、俺は悲鳴を上げながらこの猫をゴキブリもろとも夜空に向けて高く高く全力で蹴り上げてしまうかも知れない。
    お互いの幸せの為にもどうかこちらには来ないで欲しい。
    戦々恐々としながら猫の様子を注意深く伺っていると、ふと通りかかった白人女性がヒョイと猫を後ろから抱き上げた。
    「Oh! Baby!」
    女性はそのまま猫に顔を近づけ、チューッと唇を重ねて熱いキスをした。
    「わあっ!」
    思わず叫び声を上げてしまった中年男性2人組である。知らぬが仏とはこの事か。

    「・・・行きましょうか」

    なんとも言えない気持ちになった我々は勘定を済ませ、食後の散歩へと海岸に向かった。
    海岸に着くと、そこかしこのバーのスピーカーからズンズンと重低音が効き過ぎたテクノミュージックが爆音で鳴り響いており各店先には人だかりが出来ていた。
    何事かと覗き込むと、人混みの中心では現地の少年達が両端に炎の灯ったロープをグルングルンと器用に回している。
    浜辺に点在する何軒ものバーの店頭でファイヤーショーが繰り広げられているのである。
    「ああ、よくある奴ね」と、始めはなんとなく冷めた感じで眺めていたが、彼らの素晴らしい技術にいつの間にかすっかり見入ってしまい、気づけば拍手をしている自分が居た。
    前日にプーケットで見たニューハーフ達のショーが残念な内容だっただけに、彼らの鍛錬された技術と観客をいじる絶妙なテクニックに感心してしまった。

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    せっかく島に来たのだからという事で、翌日はボートで巡る半日ツアーに参加した。
    慣れない早起きをして眠い目をこすりつつ港の集合場所に到着すると、総勢10名の参加者が既に集まっていた。我々以外は全員白人の観光客だった。
    小舟に乗り込んで先ず向かうのはピピ・レイ島。この島こそが映画「ザ・ビーチ」の舞台になった無人島である。
    エメラルドグリーンの海を白波立てて進む事15分。舟はグルリとカーブを描きながら入江へと進んで行った。
    遥か遠くに見えて来たのは、かの秘境のビーチである。

    陽光に目を細めつつ眺めた先には真っ白な砂浜。を、埋め尽くした人人人。そして人。さらに人。
    砂糖に群がる蟻のごとく、秘境の砂浜はギッチリと人で埋め尽くされているのが遥か遠くからでもはっきりと確認出来た。
    「グエッ!」
    隣のK氏が南国の珍鳥の様な声を上げた。
    「とんでもない場所に向かってますなあ」
    不安な面持ちで話す我々。

    船頭が聴き取り辛い英語でフニャフニャフニャと喋った。
    「このビーチで30分、自由行動で〜す」
    あんなに人だらけのビーチで30分も何をしろと言うのだ。少々気分が沈みかけたその時、客の一人である若い白人女性が大きな声で言った。
    「えー?30分じゃ短いわ!もっと長く居たい!」
    そして他の客達もその意見に同調して口々に言う。
    「そうだそうだ!」
    「もっと長く居たいぞー!」
    我々二人はうろたえ、日本語で叫んだ。
    「おいバカやめろ!」
    「あの人混みが見えないのか!とっとと次の場所へ!」
    船頭はしばしウ〜ンと考えた末、信じられない事を口にした。
    「では今日は特別に、一時間!」
    「Yeah!!!!」
    拳を突き上げ喜ぶ他の客。
    「あああ〜〜〜〜〜〜〜」
    我々は肺に残っていた空気を全て吐き切ってしまう程の長い長い溜め息と共に頭を抱えてうずくまってしまった。

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    波打ち際にギッチリと並んだ他のツアーのボート達。そのわずかな隙間に滑り込んだ我々の小舟。
    船頭が乱暴にバシャンと海中に降ろした梯子を使って我々は満員御礼の秘境入口に上陸した。
    「ここに一時間か・・・」
    どんよりとした気分のまま人と人とのわずかな隙間を通り抜け、砂浜から伸びる小道を通って島の奥地に入ってみた。
    ちょっとした林を抜けるとそこには木製の階段があり、なにやら行列が出来ている。
    人々の目的は行列の先のちょっとした岩の裂け目から見える風景である。映画の中では「切り立った崖に囲まれて閉ざされた、美しい秘密のラグーン」として描かれてはいたのだが、映像はCGで処理された物であり実際は閉ざされてはおらず、まあ言ってしまえば特にどうといった事のない風景ではある。
    そこを見てしまえば特に他にやる事も行く場所も無いので我々は再び人で一杯の砂浜に戻り、俺はとりあえず浜辺の隅っこに小さくなって座り込み、K氏は島内の公衆トイレにヒゲを剃りに行った。K氏が言うには、この後の行程にあるシュノーケリングの際にヒゲモジャのままマスクを装着すると隙間から水が侵入して来て溺れてしまう恐れがあるのだそうだ。
    ごった返す人いきれの中で座っていてもまったく落ち着く事など出来ず、常に目の前を多くの人が行き来する中で邪魔にならない様に体育座りでしばらく縮こまっていると、やがてK氏が何故か顔のあちこちから血を流しながら戻って来た。安いカミソリで剃って失敗したのだそうだ。
    顔の数カ所から謎の流血をしている怪しい東洋人を警戒したのか、我々の回りにわずかなスペースが出来たので是幸いと横になり、しばしフテ寝を決め込んだ。

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    ただただ無意味な時間が過ぎて、ようやく満員の「秘境」を脱出した我々の小舟は島の裏側に回り、小さな珊瑚礁に入った。
    まるで作り物のような色をした海の中で、南国っぽいビビッドな色合いの魚達が泳ぎ回っているのが舟の上からはっきりと見えた。
    本日のハイライト。ここでしばしシュノーケリングを楽しむのである。
    マスクとシュノーケル、そしてライフジャケットを装着してザブンと水に飛び込んだ。
    色とりどりの魚達が群れをなしている中をゆっくりと泳いで行くのは実に気持ちよかった。
    あまり人間を警戒していないのか、魚達は数センチの距離まで近づいても逃げない。
    ここならいつまでもいつまでも泳いでいたいところなのだが、ふと舟の方を見ると白人観光客の大半があっという間に飽きたのか、既にボートに戻っている。
    気づけば海に入っているのは俺とK氏の日本人二人組のみになっていた。
    船上の彼らは「早く次行こうよ」とでも言いたげな表情で、海面でプカプカと浮いている我々を見ている。
    おそらく予定よりも早いであろう時間に船頭が「ピー」と笛を吹いて我々は舟に呼び戻され、昼食である50点位の味のチャーハン弁当を食わされた。
    小振りな弁当だったのであっという間に食い終わってしまった俺は手持ち無沙汰になり、とりあえず前に座っている白人女性のうなじに入っているタトゥーの解読をして時間を潰す事にした。
    タトゥーは大幅に変形したデザイン文字で入れられていてただでさえ難読な上に女性のネックレスで微妙に見え辛くなっており、時間つぶしには最適な難易度だった。
    小さなハートマークが横に添えられている事から、恐らくは恋人の名前かなにかなのだろうか。

    「カビラ ジエイ」

    5分程かけて解読してみたが、多分間違いだろう。

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    どうでも良い事で暇つぶししていたら、舟は再び大きくカーブを描いて次のスポットに到着した。
    先ほどの珊瑚礁とは違って、今度は底が白い砂地の入江である。
    再び舟からザブンと海に飛び込み、しばし海中散歩を楽しんだ。水深3メートルほどの静かな浅瀬である。
    途中でうっとおしくなったのでライフジャケットのベルトを外して脱ぎ捨てて、スーッと一気に潜ってみた。
    幼少時から荒波打ち寄せる磯で素潜りをして遊んでいた俺である。子供時代に身につけた動きは数十年経った今でも自然に身体が覚えている。
    水圧でキーンと鳴り始めた耳を「耳抜き」でポコンと治し、海底すれすれを泳ぎ回っていると砂地から身体の一部を覗かせていた貝やらシャコやら小魚が驚いてヒュッと引っ込む。息が続く限り泳ぎ、再び浮上する。
    薄暗い水底から明るい海面が近づくにつれて音や視界が徐々にクリアになって行き、ザブンと水面に出た瞬間、大きく呼吸して「生」を実感する。
    ああ、なんて気持ち良いのだろうと思いつつふとボートに目をやると、またしても我々以外の全員が「まだあ?」という表情で待っていたので仕方無くボートに戻る。

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    その後、猿が住む海岸に寄ったりしつつ舟は出発地点の港へと戻った。
    事前に店頭のパンフレットで見たコースから明らかに1〜2カ所少ないような気がしたが、おそらくは最初の「特別に1時間!」の影響だったのだろう。

    宿に戻ってシャワーを浴びてくつろいでいると、K氏がウンウンと唸り始めた。
    どうやら日焼け跡が相当に痛いらしく、冷感タオルを肩にあてがってベッドで呻いている様はまるで野戦病院に担ぎ込まれた負傷兵の様だ。
    職業柄、たくさんの楽器類を担いで移動しなければならないであろうK氏にとってこの肩まわりを中心とした酷い日焼けは今後しばらく相当な負担になるだろう。
    「大丈夫ですか?」
    そう聞いた俺に、K氏は「グふぅ〜ム」と南国の珍獣の様な呻き声で返事をした。
    ベッドに横になったまま、その後長らくうーうー呻いていた負傷兵はやがて静かになり、そして動かなくなった。
    隣のベッドでダラダラしていた俺は緊急事態発生かと一瞬身構えたのだが、ほどなくしてイビキが聞こえて来たので一安心。

    とっぷりと日が暮れた頃、K氏を起こして晩メシを食いに出る事にした。
    島の夜は早い。あまり悠長にいつまでも寝ていると主要な飲食店の営業時間が終わってしまい、食いっぱぐれる恐れがある為だ。
    ヨロヨロと宿を出て、近場にあった海沿いのレストランに入る事にした。
    今宵もイカ、貝、海老などを鉄板焼きでオーダーし、追加でマッサマンカレーを注文した。
    マッサマンカレーとはタイ南部の名物カレーで、アメリカの情報サイトでは「世界で最も美味しい料理」に選ばれた事があるという。
    俺が良く行くタイ北部や東北部ではあまりお目にかからない料理だったので、ひとつこの機会に「世界一の実力」とやらを試してやろうという魂胆である。
    程なくして運ばれて来たマッサマンカレー。見た目は普通のタイカレーだが、口に入れるとココナツミルクの甘さとナッツの香ばしさが口一杯に広がる濃厚な味わいだった。具は鶏やジャガイモが主で、タイカレーの辛さが苦手な人にでも食べやすそうな、やさしい味だった。
    しかし少々甘味が強すぎるので、俺はちょっと苦手かなと思っていたら、K氏が言った。
    「これを世界一に選んだ人は、きっとあちこちで食べ歩いて疲れていたんだろうねえ」
    なるほど。と思った。
    「旅も後半で胃が疲れてくるとねえ、こういう甘くて優しい物が沁みて来るんだよねえ」
    旅好きのK氏の言葉で、世界一選出の理由を勝手に理解した気持ちになった。あながち間違ってはいないような気がする。

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    翌早朝、イテテテと日焼けした肩をかばいながらK氏が一足先に島を去った。この後はマカオに向かうのだそうだ。
    「ま、そんじゃまた日本で」
    フェリー乗り場へと続く一本道をK氏が歩いて行くのをホテルの窓からぼんやりと見送った後、俺は再び眠りについた。
    昼近くに目覚めて宿をチェックアウトした俺は、島内で場所を変えてもう一泊して行く事にした。

    海沿いの小道をグルリと回った反対側、緑に囲まれた静かなエリアにあるバンガロー風の宿に到着した。
    人も少なく周辺には地味な雑貨店が数軒あるだけだが、賑やかな港周辺に比べてここいらは格段に物価が安い。
    早速ビールを数本買い込んで、ベランダのデッキチェアに座って飲んでいたらいつのまにか眠ってしまった。

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    気がつくととっぷりと陽が落ちている。あたりは虫やヤモリの鳴き声だけが響いており実に静かだ。
    島内の店がまだ開いているうちに晩メシを食べに出かける事にした。
    頼りない街灯がポツポツとあるだけの薄暗い小道をしばらく歩くと、やがてビーチ沿いの繁華街である。
    さきほどまでの静寂が嘘の様に、酔っぱらって大騒ぎする西洋人観光客で今宵も賑やかだ。
    適当な店で適当なメシを食い、ビーチに出てみると今宵もそこかしこでファイヤーショーが繰り広げられている。
    数軒を冷やかしつつぼんやりと歩いていると、干潮でかなり沖まで水が引いている事に気づいたので行けるところまで歩いてみる事にした。
    海辺の店先の喧噪が少しずつ遠のいて行き、入れ替わる様に沖合から寄せては返す波の音が聞こえて来た。
    ふと見上げると満天の星空。思わず立ち尽くし、口をポカンと開けたまましばし見入ってしまう。
    なんだか素敵な場所に来てしまった反動だろうか、やがて無性に小便がしたくてたまらなくなった。
    「オシッコ!オシッコ!」
    異国に来ている油断から、思わず口に出して早足で歩き始めた。
    いっそこのままこの沖合で用を足すか、とも思ったのだが、よくよく暗闇に目を凝らしてみるとそこかしこにカップルの人影が点在しており、どうやら俺はそんな恋人達のロマンチックエリアに一人迷い込んで、あまつさえ「オシッコオシッコ」などと口走りながらうろついている謎の中年東洋人という邪魔な存在であった事に遅まきながら気づいたのであった。
    途端になんだか恥ずかしくなり、思わず早足の速度を上げた途端にボチャンとふくらはぎまでぬかるみにはまってしまい軽く惨めな気持ちを味わったりしながら宿に戻った。

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    翌朝、俺は眠い目をこすりつつ港へ向かい、プーケット行きのフェリーに乗りこんでピピ島を後にした。
    ここは秘密の楽園では無かったが、のんびりとした良い島だった。
    刺激は少ないが、日常の細々とした事をすっかり忘れてボンヤリとするには丁度良い場所だ。
    遠くなって行く島の姿をいつまでも眺めていたかったのだが、港への到着が遅れてしまった俺は手頃な場所が確保出来ず、冷房が異常なまでに効き過ぎて冷蔵庫のような状態になった船底近くの薄暗い船室でガタガタと震えながらひたすらにプーケットへの到着を待っていた。
    手持ち無沙汰だったので、隣に座っているオヤジの腕に掘られたタトゥーの文字を解読して時間を潰す事にした。
    アルファベットだかタイ文字だか漢字だかわからなくなる程に大幅にデザイン化されたそれは、暇つぶしには最適な難易度だった。

    「確定申告」

    5分程かけて解読してみたが、多分間違いだろう。



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    Dennis Ivanov

    (デニス・イワノフ)

    日本人。
    グラヒックデジャイナー。
    twitter:Dennis Ivanov

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